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新近江名所図会

新近江名所圖會第221回 「美の城」と歌われた琵琶湖文化館 ―吉井勇歌碑

大津市
写真1 吉井勇歌碑(琵琶湖文化館前池内)
写真1 吉井勇歌碑(琵琶湖文化館前池内)
写真2 歌碑の除幕式の様子(昭和36年3月、『琵琶湖文化館のあゆみ-滋賀県博物館史事始め-』)
写真2 歌碑の除幕式の様子(昭和36年3月、『琵琶湖文化館のあゆみ-滋賀県博物館史事始め-』)

●文化館前の歌碑
琵琶湖の湖上に浮かぶ滋賀県立琵琶湖文化館(大津市打出浜地先)の前池には、一つの大きな石碑があります(写真1)。打ちつける湖の荒波にもびくともしないその堅固な石碑には、時折、水鳥たちが羽を休めに訪れます。そのためか、はたまたこの石碑に興味があるのか、前を通る人々の中には足をとめて目を凝らす人の姿をよく見かけます。
実はこの石碑、琵琶湖文化館開館当時からある吉井勇(1886-1960)の歌碑なのです。琵琶湖文化館は昭和23年(1948)開館の滋賀県立産業文化館を前身として、昭和36年(1961)に県内初の総合文化施設、公立総合博物館として開館しました。そして開館とともに造られたのが、この吉井勇の歌碑です(写真2)。
●吉井勇
吉井勇は文芸誌『明星』での活動を経て、北原白秋、石井柏亭らとともに耽美派の拠点「パンの会」を結成します。その後、森鴎外監修のもと『スバル』を創刊し、石川啄木や平野万里とともに編集を担当しました。また小説、戯曲なども精力的に発表し、日本文芸界に確かな足跡を残しました。
歌碑には「うつしよの夢をうつつに見せしめぬ 琵琶湖のうえにうかふ(浮かぶ)美の城」と刻まれており、この世の夢を現実に見せてくれる場所として、琵琶湖文化館を「美の城」と形容しています。勇は開館前年の1960年11月に没しているので、完成した琵琶湖文化館を見ていませんが、新たな博物館・美術館への多大な期待と最晩年の円熟した作風がうかがわれます。
そして、琵琶湖文化館はその名にふさわしく現在約8300点の作品を収蔵しており、「美の城」としての役割は脈々と受け継がれています。
●おすすめpoint
なぎさ通りの整備された歩道から琵琶湖文化館と琵琶湖、そして歌碑を一望していただけます。ただ、歌碑は湖上にありますので、近づくことはできません。細かくご覧になりたい方は、望遠鏡の持参をお勧めします。また各種の琵琶湖の水鳥たちが集まる場所でもあります。バードウォッチングにも最適です。
●周辺のおすすめ情報
現在、琵琶湖文化館は休館中のため、入館していただくことはできませんが、歌碑近くには琵琶湖文化館の活動を紹介する掲示板があります。館外での展覧会や文化財講座のお知らせ、県内の文化財情報など随時発信しておりますので、是非ご覧ください。
●アクセス
【電車】
・JR琵琶湖線「大津駅」から徒歩約20分
・京阪電車石坂線「島ノ関駅」から徒歩約5分
【車】
・名神高速道路大津ICより5分(駐車場無し。周辺に公営駐車場有り(有料))

(渡邊 勇祐)

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